Mia - A Dancer’s Journey

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監督:マリア・ラマス、ケイト・ジョンソン
出演:ミア・スラヴェンスカ、フレデリック・フランクリン 他
制作:2013年 / 57分
http://www.miasfilm.com

録画

クラシカで録画。この映画が日本語字幕つきで観られるとは思ってませんでした。感謝感謝。ミア・スラヴェンスカ本人の自伝を元に、娘であるマリア・ラマスが映画化したもの。非常に面白いドキュメンタリーです。


クレジット

監督
マリア・ラマス Maria Ramas
ケイト・ジョンソン Kate Johnson
インタビュー
ミア・スラヴェンスカ Mia Slavenska
マリオン・スコット Marion Scott, ダンサー・振付家
マヤ・ドゥリノヴィチ Maja Durinovic, 舞踊歴史家
マルコム・マコーミック Malcolm McCormick, 舞踊歴史家
レイヴン・ウィルキンソン Raven Wilkinson, ダンサー
リン・ガラフォラ Lynn Garafola, バーナード・カレッジ舞踊教授
フレデリック・フランクリン Frederic Franklin, ダンサー
ミッツィ・ゲイナー Mitzi Gaynor, 女優・ダンサー
エドワード・ヴィレラ Edward Villella, ダンサー
マリア・トールチーフ Maria Tallchief, バレリーナ
ジョー・ブランドン Joe Brandon, 友人
フルール・イスラエル Fleur Israel, ダンサー
マージェリー・ベドウ Margery Beddow, ダンサー
アラン・ジョンソン Alan Johnson,振付家
テッド・スプレーグ Ted Sprague, ダンサー・振付家
ジャック・アンダソン Jack Anderson, 舞踊評論家
ジョージ・ジャクソン George Jackson, 舞踊評論家
ジョージ・ドリス George Dorris, 舞踊歴史家
ディンコ・ボグダニッチ Dinko Bogdanic, クロアチア国立バレエ元芸術監督

1930年代後半から1950年代に活躍したスターダンサー、ミア・スラヴェンスカの波乱の生涯を、彼女の愛娘マリア・ラマスが辿るドキュメンタリー。1940年代米国でのバレエ・リュス・ド・モンテカルロの活動や、海外バレエ団として戦後初の来日カンパニーとなったスラヴェンスカ・フランクリン・バレエ団の実態など、これまで日本ではあまり知られていないバレエ史の一面がわかります。

1916年クロアチア(当時のユーゴスラビア)生まれ。わずか7歳でザグレブ国立オペラ劇場の舞台に立ち、1936年ベルリン・ダンス・オリンピックで金メダル。パリに移住してから映画監督ジャン・ブノワ=レヴィに発掘され映画『白鳥の死』に主演。1938年にバレエ・リュス・ド・モンテカルロに入団。1952年にフレデリック・フランクリンとスラヴェンスカ・フランクリン・バレエを立ち上げ、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』のバレエ版で主役ブランチを演じ高く評価されます。引退後は後進を育成し、2002年死去。

この番組は、1983年に撮影されたミア・スラヴェンスカのインタビュー映像、バレエ・リュス時代の『コッペリア』『ドン・キホーテ』、スラヴェンスカ・フランクリン・バレエ『欲望という名の電車』、アレクサンドラ・ダニロワ、ダニロワ・クラソフスカ、アリシア・マルコワと共演した『パ・ド・カトル』など貴重映像が満載。

彼女の人生と功績から、20世紀中盤の時代と社会、そして(特にアメリカの)当時のバレエ界が見えてくる。バレエ・ダンスファン必見の番組です。

ポートレート「ミア・スラヴェンスカ」|CLASSICA JAPAN

感想

スラヴェンスカは生前、20年をかけて回想録を書いていたそうで、この映画は実の娘であるマリア・ラマスが その回想録と本人を含む関係者のインタビューに 娘から見た母という視点を加えて制作したものです。貴重なアーカイブ満載で、彼女の生きた時代がそのままバレエ史として自分の知識の薄かった部分を補完するものであり、大変に見応えのあるドキュメンタリーでした。

バレエ・リュス・ド・モンテカルロで踊った、映画「白鳥の死」に主演した華やかな美貌のバレリーナだという印象しかなかった私には、驚くことばかり…。故郷旧ユーゴスラビアからフランス、そしてアメリカへという彼女の軌跡は、正に踊る機会を求めてのもの。「A Dancer’s Journey」というタイトルが示す道がこれほどとは思いませんでした。


祖国を出た後、フランスでの成功と映画『白鳥の死』主演、マネージャー急死の混乱の中でバレエ・リュス・ド・モンテカルロと契約しアメリカツアーに出発、ツアーの最中に勃発した第二次大戦により祖国へ戻れなくなり、アメリカに根を張り生きていくことに…かいつまんで書いただけで、十分に波瀾万丈ですよね。

アメリカに渡って以降も、カンパニー内の冷遇、退団と復帰、そしてスラヴェンスカ=フランクリン・バレエ団の設立。「欲望という名の電車」ブランチという当たり役を得るも経済的困窮から作品とカンパニーを手放さざるをえなくなり、その後もテレビや舞台でゲストとして集客に貢献した後に引退。引退後は長年バレエ教師として生徒たちを教え、クラシック/モダンダンス共に名教師と名高かったそうです。

アメリカでは忘れ去られた、というのがとても淋しく響くのですが、救いは現在のクロアチアでは彼女が大変に尊敬されているという事ですね。ザグレブにある美しいミロゴイ墓地に埋葬され、生家には記念プレートが。また彼女の名前を冠したバレエコンクールも2年に1度開催されているとの事。


まだ10代の頃にドイツの前衛舞踊に魅了されたというのはとても早熟に感じられたけれど、祖国を取り巻く環境と、生まれたばかりの芸術の力強い同時代性があるのでしょうか。しかしそうした戦後芸術を祖国の観客にも見せたいという強い想いが、逆に上層部に疎まれ祖国を永遠に離れる原因にもなってしまったとは…。

「欲望という名の電車」は写真・映像とも断片で見る事ができましたが、当時としては相当な衝撃作だったろうと思います。ドラマティックで振付も高度、スラヴェンスカとフランクリンにとっては誇るべきレパートリーだったでしょうから、その作品をバレエシアターに売却し、衣装にもいいように手を入れられたのは耐えがたい事だったハズ…。

もう1つ、「家族」のありようも心に残ります。スラヴェンスカをバレエに導いた母親は絶えず彼女に寄り添いアメリカまで来ましたが、祖国を愛する父はクロアチアに残り、終戦後に呼び寄せようとした時には亡くなっていました。そんな母がスラヴェンスカの夫と折り合いが悪かったのは当然でしょうね…。夫はバレエ・リュス・ド・モンテカルロを離れた彼女のマネージャーとなったので、彼女が踊って生活費を稼がねばなりません。娘マリアは両親と離れる時間も多くて淋しかったでしょうし、その為にダンスに嫉妬をし、ずっと嫌いだったそうです。

この映画は、娘のマリアにとっても大きく実りある旅だったに違いありません。彼女に祝福を述べたいし、私たちにこの映画をもたらしてくれたことにお礼を言いたいです。