- 2008/07/08 12:00|
- Category: 男性ダンサーのドキュメンタリー|

出演:アレクサンドル・ゴドゥノフ 他
製作:2005年 / 44分
録画
コメント
シアテレで録画。『ロシア・バレエの伝説』という4回シリーズの第4回はアレクサンドル・ゴドゥノフでした。
クレジット
コメント出演:ジャクリーン・ビセット、リュドミラ・ヴラソワ(ゴドゥノフの当時の妻)、イーゴリ・マクリン(タス通信記者)、マイヤ・プリセツカヤ、ヴャチェスラフ・ゴルデーエフ、エレーナ・チェルニチョーワ(ABT プリンシパル・バレエ・ミストレス)、ニーナ・アロヴェルト(舞台写真家)、ルイス・セガール(舞台写真家)、アナトリー・ダヴィドフ(俳優)、アレクサンドル・グレシチェンコ(ダンサー)、アーラ・ハニアシビリ(ダンサー)
感想
ゴドゥノフというと、バリシニコフとの光と影のような対比であるとか、亡命後もなかなか上手く人生が運ばず45歳という若さで亡くなった「悲劇の人生」という印象が強いです。これまでに見た事がある彼の旧ソ連時代の映像「ドン・キホーテ」「カルメン組曲」「アンナ・カレーニナ」(いずれもこのドキュメンタリーでその断片が見られます)は、彼の輝ける才能(ダンスも縁起も)を映していて、そんな彼の才能が新天地で上手くいかされなかった事は残念でなりません。
プリセツカヤ曰く「ゴドゥノフ本人も周囲もいつかは亡命すると思っていた」のだそう。ボリショイの厳しい規律をことごとく破っていた彼(あの美しい長髪も切れと言われていたそう)の事は、プリセツカヤのように当局に頭を押さえつけられながらも自分のやりたい事を祖国で実現しようと悪戦苦闘していた人には、未熟で危なっかしい青年に見えていた事でしょうね。それでもプリセツカヤが彼と踊ったのは「単純に、上手かったから。踊りも演技も」と言っていました。彼女がパートナーに選んでくれたおかげで彼のパフォーマンスも映像に残っている訳で、プリセツカヤに感謝したい気持ちです。
彼は肉親からの愛情にはあまり恵まれなかったようですが、ソ連時代に結婚していた妻リュドミラ・ヴラソワ(年上で、彼がコール・ドで入団した時 既にスターだった)や、米国で恋愛関係にあったジャクリーン・ビセットとはとてもよい関係を築けていたのだと思います。彼はずっとヴラソワの事を忘れられなかったようですが、至る所に挿入されたビゼットのコメントはゴドゥノフを深く思い遣ったもので、彼女に出会えた事が亡命後最大の収穫だったのでは、と思わずにはいられません。彼の死後、この2人の女性が出会い、ゴドゥノフの為に祈りを捧げたというエピソードに救いを感じます。
亡命時のエピソードやその後のダンサーとして俳優としての人生をたどる中で、このドキュメンタリーには、彼の亡命は最善策ではなかったという論調が透けて見えます。確かに彼は精神的な支えであるウラーソワのそばを離れて新たな困難を乗り越えるには、あまりに不器用で精神的にも弱かったのかもしれません。でも、人生の選択において何が正解だなんて、誰にもわかりませんもの。
もう1つの救いは、アメリカでも彼が撒いたバレエの芽は育っているらしいという事。後年、アメリカで、ロシア出身のペアにとても熱心にバレエを教えていたようで、その時指導を受けたアーラ・ハニアシビリ(この方が現在どのようにバレエとかかわっているかは不明)は彼の事を恩師と慕っていました。彼女が語るゴドゥノフに死に関する彼の弁護士の暗躍振り(本当の死因はわからないし、遺灰と共に弁護士が姿を消してしまった)は最後の大きな謎といった趣きで、ゴドゥノフの人生って、と溜め息をついてしまいました。
なお、NYTimesのアーカイブで見たゴドゥノフの追悼記事によると、彼は牧阿佐美バレエにゲストで登場したり、二十世紀バレエ団やアルヴィン・エイリー舞踊団で踊った事もあるそうですね。
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